ゆしびんちゃん、だちびんちゃん誕生のきっかけ。 Story of Birth. (ちょっとプロジェクトX風に)

誕生秘話

着想は2008年。

全国的な「ゆるキャラブーム」に火が付き始める前夜のこと。

ひとりの男が「どうにかして、那覇の市場をアピールできるキャラクターはないか…」と悶々と考え始めたのがきっかけだった。


男の名前は新里俊一。


後に那覇市場のご当地ゆるキャラ「だちびんくん」と「ゆしびんちゃん」を生み出した男である。


2008年当時は、今のように「ご当地ゆるキャラ」はそれほどブームというほどではなかった。

築城400年を迎えた彦根城(滋賀県彦根市)の記念イベントのイメージキャラクターとして登場した「ひこにゃん」はその存在を知られていたが、よくある「ご当地マスコット」として知られているだけであり、そもそも「ゆるキャラ」という言葉が存在したかどうかも定かではない。

この「ご当地マスコット」が「ご当地ゆるキャラ」として脚光を浴びるようになったのは、2010年の平城京遷都1300年(奈良県)をPRするために作られた「せんとくん」のキモ可愛さが話題となったあたりからで、2008年の終わりから2009年にかけてのこと。

新里はその頃すでに、「ご当地ゆるキャラ」を市場振興の起爆剤として使いたいと考えていた。


ただ、どういったキャラを作り出していいのか、コンセプトさえ分からない。

悩みに悩んだ末、新里はひとつの答えにたどり着いた。


新里は思った。


「もちろん地域貢献と市場の活性化が目的ではあるが、まず子供達にウケよう。」


"子供にウケるキャラクター"というコンセプトを固めた新里は、那覇市中心商店街連合会でゆるキャラの企画を提案、次々と賛同の輪が広がり、中心商店街連合会は盛り上がった。

「ご当地というからには、ご当地の何かを使おう」

皆でいろいろと知恵を絞ったが、なかなかいいモチーフが見つからない。

そもそも、沖縄は全国的に見てもかなり大きな観光地。某お菓子メーカーのスッパイマンをはじめ、ゴーヤーマンなど、観光客にわかりやすい沖縄の「モノ」は既に商品化され尽くしてきた。


壁にぶつかった。


自らの営む骨董屋の店先で、新里は一向に進まないキャラクター設定に頭を抱える日々が続いた。

しかし、新里は「宝の山」と愛してやまない骨董品の中に、ご当地キャラのモチーフとなりうるものを発見したのである。


店先で売りに出されていた、やちむんでできた「ゆし瓶」と「だち瓶」。


これだ、と思った。


この二つなら、沖縄らしさを十分にアピールできる。なにより「注ぎ口」を利用してクラッカーを鳴らしたり、お菓子を飛ばしたりできる。

沖縄らしさも子供ウケをするパフォーマンスも、申し分ない。

次から次へとアイデアが生まれた。

こうして中心商店街連合会の「ご当地キャラプロジェクト(?)」は加速していった。


「架空のキャラクターではなく、身近で沖縄にしかない陶器でキャラクター化し、(子供にウケるため)とにかく大きなものを作りたかった。」

後に新里がそう語ったように、那覇市商工会議所の援助で出来上がったゆるキャラは、一見「ゆる」さの欠片もないほどの大きさで、「陶器の瓶」をモチーフにしたボディはゴツさ満点。

遠目に見ると「ゆるキャラ」なのに、近づくと「全っ然ゆるくない」という2体のゆるキャラが誕生した。


「布のオリジナルの着ぐるみは実はファイバーよりも高価格で、暑い沖縄ではメンテナンスも大変。そこで腕は着脱自由にし、ファイバーの胴体で水洗いも可能。空洞もできるので中からお菓子を出したりもして。だちびんくんは何キロかなぁ、20キロ以上はあると思うけど。わっははは!」

誕生した「ゆしびんちゃん」と「だちびんくん」は自称『日本一重いゆるキャラ』となった。


新里は言う。

「ゆるキャラは見た目のユルさだけじゃないんですよ。この子たち(もちろん「ゆしびんちゃん」と「だちびんくん」)は、そんじょそこらのゆるキャラでもできないようなことができます。これはできない…という官僚みたいな堅さがあったら、もうそれは「ゆるキャラ」じゃないでしょう? お菓子を飛ばす、クラッカーを鳴らす…ゆるーく考えていろいろやらせてこそ、ホントのゆるキャラかなと思ってます。」


語り:田口トゥモロー

写真 ゆしびんちゃんとだちびんくん。テーマソングを歌う宮良舞ちゃんといっしょに、那覇市公設市場前にて撮影。

主な活動 Activity.

地域貢献 沖縄県警の春の交通安全PR。
イベント セルラースタジアムで開催された阪神VS巨人戦に出演。
  もろもろありますので、ただ今まとめております。